木はどこへいっても木

前にテレビで片付け屋さんのドキュメントをやっていました。

一家心中や一人暮らしのお年寄りでなくなった方の部屋を片付けるお仕事をされている方の話です。

その会社の社長がいっていたんですが、

みんな部屋に必要以上にものがありすぎるらしいんです。

普通に生きる以上にものがあるらしいんです。

確かに部屋をふわっと見渡してみるとこれいるかな?ってものって結構多いですね。

この話は数年前にテレビで見て、それまでそんな事考えた事もなかったわけです。

それを聞いて色々考えてみると生活できるものって現状かなりそろってるなぁって思いました。

逆に言えば、不必要なものを手に入れすぎてるんですよね。

その不必要なものってとっても魅力的で刺激的なので、常に強い魅力と刺激に向かってしまいます。

でも僕たちって人と面と向かって会った時、初対面であっても友達であっても何かを感じているはずなんです。

でもおしゃれな服だったり、高価な時計だったり、その時代の美的感覚からくるルックスだったりで何かしらで感じているその感覚をかぶせてしまっていたりします。

それって部屋の中でもあることなんだろうなって思いました。

満員電車って毎日のってるとストレスが感じなくなるらしいんです。

でもそれって間違いでストレス自体は感じているがそのときの感覚ほど体は認知しなくなっているだけらしいです。

リラックスしている状態が実はすでにマイナス10とかに気持ちが設定されているようで、それに気づかない。そこをしっかりと感じる事って様々なことにつながるのかなって思います。

例えば部屋を片付けてすっきりしたって事はその分ストレスを感じてたってことですよね。

そういった感覚の変化をじっと見てあげることができるといいなぁって思います。

リラックスできるといいなぁって。

よく重要な場面など緊張しているといってますが、僕の感覚では日常はほとんど微細な緊張している状態が多いです。多いか少ないかの違いです。

人とあってもほとんどそんな感じを受けます。リラックスしてる人やニュートラルな人っていうほどいないなぁって。

ただこれらの変化ってとってもささいなものなんでそこに注文してた新しいパソコンが届いたら一瞬で消し飛ぶわけです(笑

その届いた気持ちを落ち着かせることができたらもっと客観的にみれるかなぁと思ったりしてます(笑

でも、そんな時ぐらいは消し飛んでもいっか笑

自分の演奏をよく録音して聞き直しますが、こんなふうに演奏してるんだなぁと思う事が多いんですが、ごくまれにほんのちょっとだけ演奏しているときと同じテンションで聞ける事があります。

それってそーいうことかなぁって思ったりしている今日この頃です。

木ってどこいっても木でいるのに人間って極端に変化しすぎだよなぁって思うわけです。

しかもそれに気づかないっていう。

常にリラックスした状態に自分をもっていきたいなぁ。

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